断捨離とミニマリストと妊活と。

タイトルに妊活とありますが、無事に授かり出産。断捨離のこと、家計のこと、生活のこと、切迫早産のこと、そして子育てのこと、いろいろ綴っています。

イライラの種

イライラするところにヒントがある。

 
イライラの種
夫に対してイライラすることが1番多いけど、最近のイラポイントは
 
くだらない冗談や
的外れな発言、かな。
 
1ヶ月の息子に
もう、ハイハイしそうだねー
とかいう発言にイラっとした。
 
まだ首もすわってないし、寝返りもまだだし。
 
本気なのか、冗談なのかもわからないし。
 
なんでイラッとしたのかな。
たいしたことじゃないのにね。
 
 
正しくない発言だから?
子供2人目なのに、わかってないから?
的外れだから?
 
 
という理由が思い浮かんだ。
 
私は、
 
正しくあるべき
子供2人目なのだからある程度子供のことはわかってて当然
的外れなことを言うのはよくない
 
というように思っている前提があるようです。
 
 
子供の事、成長の順番がわかってない事は
イコール
ほとんど夫は子育てに関わってこなくて、私ばっかり大変な思いをした、私ばっかり頑張らなきゃいけなかった、という不満があるようです。
 
子育てを手伝ってくれなかった不満。
 
大変な私を手伝ってくれなかった不満。
 
そうか、手伝って欲しかった、は、大切にして欲しかったんだ。愛して欲しかったんだ。
 
大切にして貰えなかったという気持ちがあるんだな。
愛して貰えなかったという気持ちがあるんだな。
 
 
大切にして貰えない前提があるから、大切にして貰えない事実が集まる。証拠集めをしてしまう。
 
ほら、やっぱり夫は私を大切にしてくれない!って。
 
 
子供の成長についてわかってない発言
子育てに関わってくれなかった
大変な私を手伝ってくれなかった
私は大切にされていない、愛されていない
 
というような思考回路になってて、夫の発言に対して反応してしまったみたい。
この思考回路が無意識だからやっかいだよね。
 
 
心屋仁之助さんの本やブログを見て、ここまでわかるようになってきた。
 
だけど、
 
大丈夫、どうせ愛されてるし〜
どうせ大切にされてるし〜
 
の言葉を言うことに抵抗がある。
そう思うことに抵抗がある。
 
長年信じてきた、私は夫に大切にされていない、の前提を信じる方が、楽だと思ってしまっている。
どっちが幸せになれる思考かはわかっているのに、不思議だよね。
 
変化をすることが怖いし、
なんか自分が折れること、変わることを癪だと思ってる自分もいる。
 
もっとちゃんと大切にしてくれてからじゃないと信じてやらないもんね〜、みたいな意地はった子供みたいな思考。
 
面倒くさい自分(笑)
 
 
折れてしまった方がいいのにね。
 
 
どうせ愛されてるし〜
どうせ大切にされてるし〜
 
 
本当は薄々気づいてる。
心屋に出会って、ちょっとずつ私も変化してきて、夫は前より優しくなった(と感じる)
育児にも協力的になった(と感じる)
 
本当は薄々気づいてるのに
1人目の育児が本当に辛くて、鬱っぽくなって、子供と2人で死にたいとまで思って、それでも夫に冷たい言葉を浴びせられた悲しさや恨みみたいなものがまだ消えてない。
 
辛かった事をわかってほしかった
辛い時に手を差し伸べてほしかった
 
そういう消化しきれない想いもあるんだよね。
 
 
でも、そんな想いを引きずることも意味が無いこともわかってる。
 
まだいったりきたりの気持ちだけど、ちょっとだけ、ちょっとずつ信じてやるか、みたいな変化もある。
 
どうせ愛されてるし〜
どうせ大切にされてるし〜
 
ちょっと信じてやるか(笑)